「サード」
「都市は巨大なグランドで、すべての市民は野手である。うまく『まわりこまなければ』刺されるだろう。全速力で町を走り抜けてゆくサード、追って行くⅡBを俯瞰で。 いずれにしても、ものみな音楽で終わる。 ラストシーンを作るのは、演出家の仕事です」
(「監督東陽一『サード』のラストシーンについて」脚色・寺山修司)
この言葉のとおり、ラストシーンのほかは演出めいたあとがなかった。
ベースを走り回る「サード」は役じゃなかった、演技じゃなかった、
「永島敏行」じゃなかった、
退屈から抜け出て大きな町へ向かおうとする、すぐその目の前にいる「サード」17才だった。
身体を売る「新聞部」は役じゃなかった、演技じゃなかった、
「森下愛子」じゃなかった、
退屈から抜け出て大きな町へ向かうために身体を売る、すぐその目の前にいる「新聞部」17才だった。
あのころ、すぐその目の前にいる17才たちは、みな、退屈から抜け出て大きな町へと向かった。
彼らはみな、たどり着いた大きな町の映画館に入って暗闇の中の小さなスクリーンを見つめていた。
彼らが見つめるスクリーンでは、すぐその目の前にいる17才の「サード」はベースを走り回り、「新聞部」は身体を売っていた。
「サード」は「永島敏行」じゃなかった、
「新聞部」は「森下愛子」じゃなかった。
「いずれにしても、ものみな音楽で終わる」演出のラストシーンは、また、すぐその目の前にある、ずっと変わることのない大きな町の風景を映しだしていた。
退屈から抜け出てたどり着いた大きな町では、
うまく「まわりこむ」ために全速力で走り抜けていかなければならない、
うまく「まわりこむ」ことができなければ、また身体を売るしかない。
このラストシーンの演出によって、「サード」は「サード」のままに、「新聞部」は「新聞部」のままにスクリーン上にとどまった。
そして彼ら、たどり着いた大きな町の映画館の暗闇からでてきた17才たちの網膜には、「サード」「永島敏行」、「新聞部」「森下愛子」の姿が、永くいつまでも刻み込まれることとなった。
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